2003.10.30 栃木県 残響ささやきの冷気、太古の香り。

栃木県
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写真(大谷資料館の採掘跡)

[巨大なオブジェに圧倒される]

突然、木の棒を2本、放り投げた。

カラン、カラン
カラン、カラン
カラン、カラン

木と石が衝突する乾いた音が軽快に弾む。
残響もいい感じだ。

氏は、続けざまに小ビン数個を取り出し、転がし始める。

ジョロロロッピッピッ
ジョロロロッ
ジョロロ

ガラスビン同士が擦れる音、ガラスビンと地面(石)が擦れる音、これらが融合して不思議な音色を作り出す。

木と石
ガラスと石

今度は缶だ。
氏のカバンからピアノ線に連なった数個の空き缶が出てきた。
缶の中にはピンポン玉がぶら下がっている。

カラカラ、カラカラ、ガラ、カラッ、カラカラ
カラカラ、カラカラ、ガラ、カラッ、カラ
カラカラ、カラカラ、ガラ、カラッ
カラカラ、カラカラ

カンカラを引きずる様は、まるで犬の散歩のようだ。
それにしても、何という深い音なのだろう。金属と石が衝突する音とは思えない。

写真(大谷資料館の採掘跡)

[神秘的な空間を闊歩しながら”カンカラ・サウンド”を奏でる山田 氏]

[現場のサウンドを聴く]
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in collaboration with FLASH BASIC & WEB BASIC

私は、氏と同じ場所にいるのを避けた。
これだけ広い空間。いろいろ動きまわって、音がどう反響するのかチェックしたいと思ったのだ。

階段を上がって少し高い所に移動してみた。
案の定、ヘンな場所から音が反響してくる。
面白い!と思った。

この非日常的な空間で感じる心地よさとは何なのだろう。
音、空間、心地よさ‥
広大な地下空間に立ち、目を閉じる。
山田 氏が奏でるカンカラ・サウンドが残響音となって耳に入ってくる。

耳で聞く音も、処理しているのは「脳」である。
そして、頭の中で湧き出る映像は「記憶」に密接だ。
個々の「記憶」があって初めて音の意味づけが可能になる。
カンカラ・サウンドを聞いて、何らかの映像が浮かんでくるのも「記憶」のおかげ。

記憶というのは3つのプロセスから成り立っている。

1)記銘(学習する)
2)保持(脳に詰め込む)
3)想起(思い出す)

そして記憶の種類は、

1)陳述的記憶(意識して思い出す)
2)手続き的記憶(意識しなくても思い出せる)

である。

記憶喪失になっても自転車に乗れるのは「手続き的記憶」があるからだ。
スポーツの技術やコンピュータの操作、楽器の演奏なども同様、自然に思い出すことが可能。
要するに、身体に叩き込まれた動作ということだ。
パソコンで文字を打つとき、ほとんど無意識のはず。
毎日入力しているパスワードも意識せず自然の動作として処理されていると思う。

「陳述的記憶」は、実体験から得る記憶。
学校で勉強した知識などは、引き出すという作業がある。
思い出などもそうだ。

我々は、この世に誕生してからさまざまな音を聞いている。
音は、さまざまなエピソードと結びついている。
感じることの楽しさを考えてみると、「記憶」は感性の財産であると捉えられるのだ。

デジャヴュ(既視感)などは、とても面白い。

初めての場所なのに、以前見た覚えがある‥というやつだ。
これは、脳の伝達ミスが引き起こすもの。

例えば、子供の頃に川遊びをしていて、その風景が記憶に残っているとしよう。
20年後、旅行先でそっくりの場所を訪れる。
その時、脳は誤った伝達をするのだ。
昔の記憶の欠けている部分を〜現在見ている風景から情報を取り出し、補ってしまう。

要は、脳が勝手にコラージュし、誤った情報を作りだしてしまうのである。

「偽記憶」と呼ばれている。

もしかしたら、予言というのは脳のイタズラから発展する現象なのかもしれない。
数年後の世界を見た!〜的なものだ。

いや、夢がなくなるので、やめておこう。

とにかく「記憶」と「音」について考えることは楽しく、捉え方次第ではアートとして成立する。
脳の伝達ミスであるデジャヴュでさえ楽しむことができるのだ。

写真(大谷資料館の採掘跡)

[広大な地下空間に立ち、目を閉じる。音を導火線とする記憶アートの楽しさこそヒドゥンアートの原点。]


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