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自然の中にある偶発的な創造美を鑑賞するヒドゥンアート・アーカイブサイトです。「Skip to Content」をクリックすると記事本文が掲載されている箇所へ移動します。

栃木県 残響ささやきの冷気、

太古の香り。

大谷資料館に入る。入館料は600円。 坑内へ進む。ひんやりする。そう、気温がぐっと下がるのだ。年間の平均気温は7度くらい。上着がないと寒い。「停電のときは」と書かれた板が置いてあった。度々、停電するのだろうか。「パン、パン、パーン!!」手を叩いた音が反射を繰り返し、スケール感のある反射音になる。これを「フラッターエコー」と言う。フラッターエコーの代表例として、日光東照宮の「泣き竜」などが有名。ここで音ライブをやったら最高だと思う。コンサートホールなどは、「残響」がとても重要。だから、残響時間が巧みに調節されている。クラシック音楽なら残響時間が長い方がいい、講演会などの場合は残響時間を短くした方が聞きやすい。

最先端技術を導入した多目的ホールなどは、この残響時間を調整できるのだから凄い。音を吸収してしまう吸音壁は、反射しないから残響ゼロ。コンクリート打ちっぱなしだと、音がよく反射するので残響が続く。今回は、音の反射、すなわち”残響”がコンセプト。まわりは全て石だ。絶好の場所なのである。広大な地下空間が目に飛び込んできた!

「おぉ〜っ」思わず驚嘆してしまう。映画「TOMB RAIDER」の古代秘宝の遺跡に入っていくシーンを彷彿させる。ここは、石をくり抜いて出来上がった空間。我々は、石の中に居るわけだ。階段を上がって少し高い所に移動してみた。この非日常的な空間で感じる心地よさとは何なのだろう。音、空間、心地よさ‥。広大な地下空間に立ち、目を閉じる。耳で聞く音も、処理しているのは「脳」である。そして、頭の中で湧き出る映像は「記憶」に密接だ。個々の「記憶」があって初めて音の意味づけが可能になる。音を聞いて、何らかの映像が浮かんでくるのも「記憶」のおかげ。記憶というのは3つのプロセス「記銘(学習する)」「保持(脳に詰め込む)」「想起(思い出す)」から成り立っている。そして記憶の種類は、「陳述的記憶(意識して思い出す)」「手続き的記憶(意識しなくても思い出せる)」である。記憶喪失になっても自転車に乗れるのは「手続き的記憶」があるからだ。スポーツの技術やコンピュータの操作、楽器の演奏なども同様、自然に思い出すことが可能。要するに、身体に叩き込まれた動作ということだ。パソコンで文字を打つとき、ほとんど無意識のはず。

毎日入力しているパスワードも意識せず自然の動作として処理されていると思う。「陳述的記憶」は、実体験から得る記憶。学校で勉強した知識などは、引き出すという作業がある。思い出などもそうだ。我々は、この世に誕生してからさまざまな音を聞いている。音は、さまざまなエピソードと結びついている。感じることの楽しさを考えてみると、「記憶」は感性の財産であると捉えられるのだ。

デジャヴュ(既視感)などは、とても面白い。初めての場所なのに、以前見た覚えがある‥というやつだ。これは、脳の伝達ミスが引き起こすもの。例えば、子供の頃に川遊びをしていて、その風景が記憶に残っているとしよう。20年後、旅行先でそっくりの場所を訪れる。その時、脳は誤った伝達をするのだ。昔の記憶の欠けている部分を〜現在見ている風景から情報を取り出し、補ってしまう。要は、脳が勝手にコラージュし、誤った情報を作りだしてしまうのである。「偽記憶」と呼ばれている。もしかしたら、予言というのは脳のイタズラから発展する現象なのかもしれない。数年後の世界を見た!〜的なものだ。いや、夢がなくなるので、やめておこう。とにかく「記憶」と「音」について考えることは楽しく、捉え方次第ではアートとして成立する。脳の伝達ミスであるデジャヴュでさえ楽しむことができるのだ。